否定する心

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否定する心

母が亡くなって2ヶ月が経ちました。 2ヶ月が経ち、母がいない生活に慣れてきたかと言われれればそうではなく、 やはり、ふとした瞬間に生前の母が思い出され、なんとも言えない淋しさに押し潰されそうになる。 ここ最近では、その淋しさから逃れようと、心を閉ざそうとしている自分がいる。 母が亡くなったことを信じたくない自分。 亡くなったことを否定できないとわかった時、母はずっと前からいないんだと思い込もうとする自分。 そう思い込もうとすると、母が本当に存在していたのかさえ、あやふやな思いに襲われる。 母が存在していたからこそ、自分が存在しているというのは紛れもない事実なのに、 底しれぬ淋しさから心を守ろうとありえない思想を持ちだそうとする。 こんなんじゃ、いつまでたっても哀しみから抜け出せないとわかっていても…。 母の存在を否定するときもあれば、生前のように話しかけたり、 こんなふうに返事するやろうなってのがある程度わかるから、 そんな調子で会話を楽しんでみたりもする。 ふと気づくと独り言を言っているときに人とすれ違ってひどく恥ずかしい思いもする。 もし他の人から母の存在が見えたとしたら、奇異な存在に映るんやろうななどと考えたりもする。 ここ最近では遺影と言うか、母の写真に向かって話しかけることがなくなった。 なくなったというよりも、なくそうとしている方が正しいかもしれない。 もしかすると、1ヶ月前よりも、今のほうが母の死を受け入れられていないのか? 滋賀にいないことをいいことに、現実から目を背けてしまおうとしている自分がいる。 子どもが早くほしいと思う反面、小さい子が大好きな母。 でもうまく構えず、子どもから避けられてしまう母。 そんな母も実の孫なら甘えてくるんじゃないかな。 そんな孫を満面の笑みで抱くであろう母。 私が一人っ子だったため、身近や赤ん坊を長らく抱くことのなかった母に、もう一度抱かせてあげたかった。 いくら私の心の中で生き続け、私の身体を借りて抱くことができるかもしれないと思い込むことはできても、 実際に母の笑顔は見られない。
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