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この、どうにもやるせない気持ちをどこにぶつけろと言うのか?
どんなに母に会いたいと望んでも、それは夢でしか叶えられない。
夢から覚めた直後は、母に会えた喜びに包まれるが、喜びが冷め、冷静になった時、その倍の哀しみが訪れる。
いつかは母をなくす運命にあっただろう。
それが早いか遅いか…。
別れを惜しむむ時間が許されるか許されないか…。
別れを惜しむ時間があるというのは、イコールとして、だんだんと日に日に弱っていく姿を目の当たりにせねばならないということ。
果たしてそれに、精神的に耐えることができたのか?
母の老後、痴呆症になるのは嫌だと思った。
見たくないと思っていた。
見ることもなかったし、
朝、いつもの時間になっても起きてこない時、死んでるんじゃないかと思う時があった。
母が亡くなった今となっては、その不安もなくなった。
世の中には、母親が寝たきりの人や、車椅子の人がいる。
自分の母親は、腰が曲がり膝がまっすぐに伸ばせず、後ろから見ると身体がローマ字のKになってるように見えた。
友達のお母さんや、同年代の人や更に年配の人でも、腰が曲がることなく、健康的な人を見ると悲しくなった。
その反面で、母はまだ自分で歩けるし、車も運転できる。
生死を分けるような病気で病床にいたわけではない。
この母が死んでしまうわけがない。今もこうして生きてるんやからと思っていたあの日。
それでも母は亡くなった。
歩いていても、
運転していても、
その時は容赦なく母を死の世界へ連れ去った…。
死ぬわけがないと思っていた母は、いとも簡単に亡くなってしまったのだ。
それから、身近な人の死が、すぐそこまで来ているような恐怖に囚われた。
健康になんの問題もない主人でさえ、しばらく連絡がないと、私の知らない間に逝ってしまうのではないかという恐怖に…。
周りからは不謹慎と思われるかもしれない。
でも現実に、事故で奪われる命もある。
大丈夫と思ってても、大丈夫じゃない時がある。
今ここでもし、主人を亡くしてしまったら…
生きる希望を失ってしまう。
守るべき子どもはまだいない。
滋賀にいる祖母と父は…?
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