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母は8月のあの日に亡くなって、時が止まった。
でも、生きてる私たちは、
時は止まることなく、流れ続けている。
いつしか夏は終わり、秋になった。
そしてもうすぐ、激動の2014年は過ぎ去り、新しい年が始まるだろう。
突然止まった母の人生の砂時計。母は人生の砂時計が止まったことに気付いてるのかな?
なんとなく、母を夏のあの日に残したまま、自分たちが先へ先へと歩みを進めてしまったような、
何と言うか、サバンナを群れで行動してたのに、倒れた仲間をその場に置き去りにしてきたような、罪悪感にも似たような感覚。
決して見放したわけではない。
実際、母の最期の処置をこの目で見たわけではないから、何とも言えないけど、
あの日、早朝にかかってきた電話のあと、急に人生の歯車が錆び付いたみたいに、
気持ちまで錆び付いてしまったみたいに、
何もかもが、ぎこちなく過ぎていくんだ…。
百箇日が過ぎても、一時は納得したとしても、やっぱり死を受け入れられずにいる。
例え、家に居なくても、どこかで夏のあの日よりも前の日みたいに、いつも通りの母が、どこかにいる気がするんだ…。
冷たくなった母に、何度も触れた。
母の遺骨も拾ったし、お墓にお骨もこの手で納めた。
軽かった。
思い出すとやっぱり涙が溢れるの。
一生ぶん過ごしたはずやのに。
光になって暗闇を照らしてくれてるはずやのに、
もう、冗談を言い合えなくなった母を思うと、たまらなくなるんだ…。
スマホのアドレス帳も、メールも、LINEのやり取りも、やっぱり消せなくて置いてあるの。
消したら、思い出まで消えてしまいそうでさ。
今なら思い出せる。雰囲気が、様子が、話し声が、くしゃみが、笑い声が、いびきがやおならまで(笑)
つい最近、会ったみたいに、鮮明に思い出せるのに、
郵便物が届くたび、もういいひんのにって思ってしまう。
今回、母が着てた服の何着かを仙台に持って帰ります。
仏壇の母に話して、仏壇の前で服を広げて見せて…。
サイズ違いの同じ服を見つけました。
流石、一卵生親子(笑)
母と繋がりを再確認しました。
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