0人が本棚に入れています
本棚に追加
「やめなって」
それはまるで自分に言い聞かせるようだった。
サキコにポケットから出したハンカチを投げた。
音もなく落ちたそれに視線を注ぎ、
やはりサキコは糸が切れたようにわんわん泣きだした。
落ちたハンカチを拾い、彼女の顔に押し付ける。
これが舞台ならば、迫真の演技といえよう。
「私には才能がないから、こうするしか生き延びることが出来ないのよ。この業界じゃ…」
やっとのことでそう言うと、こらえきれずしゃっくりをする。
サキコの頭をイコはくしゃくしゃっと撫でた。
彼女はイコにとって、東京に出てきてから唯一の家族に近い存在だった。
時には切磋琢磨しながら、励まし合いながら、お互いの演技力を磨いた。
そう、あの時までは。
昨年の春、期待の新人として、奥江ヒカリが彗星のごとく現れると、
それまで二大巨塔だったイコとサキコは主役の座をはずされ、彼女が全て奪っていった。
その年の新人賞も総なめにし、いよいよ一躍時の人となる。
イコとサキコは、光を一瞬にして失ってしまったのだ。
それからだった。
サキコが夜な夜なイコの個人練習の部屋に訪れては、泣き崩れる日々が始まったのは。
業界には噂が煙のように立ち込めた。
サキコ以外にも席に必死にしがみつこうとする者は数を知れない。
最初のコメントを投稿しよう!