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劇場のレッスン室の一角にイコは居た。
渡された台本に目を通す。一昨日の不規則な生活以来上手く眠れていない。
すぐにしょぼしょぼとする瞳に、点眼していると、彼女を呼ぶ声が聞こえる。
今回の舞台の主演女優、奥江ヒカリだ。
“立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花”という言葉さながら、彼女は完璧な容姿でった。
おまけに声には張りがあり、常に凛としていた。
全ては絶対的地位に上り詰めた自信からくるものなのだろう。
彼女は幼さの残るキラキラした瞳をイコに向け、微笑んだ。
近くにあった椅子をイコの真向いに寄せるとそれに座り、やはり笑っていた。
「イコさんとの共演は四度目ですね。今度も宜しくお願いします」
初めて共演した作品がまさに彼女を世に知らしめたものだった。
故に、イコにとっては非常に苦い思いをした作品でもある。
今回の作品は、昭和の東京・下町を舞台にした人情劇であるが、イコの配役はと言えば、主人公の奥江ヒカリを貶める役柄であるので、彼女は誰より複雑な心情であっただろう。
いや、“酒屋の看板娘”という端役を頂戴してしまったサキコよりもおいしい役であることに変わりはないのだが。
軽く挨拶を済ませ、部屋を出ていく奥江ヒカリを見送りながら、イコは小さく唇を噛んだ。
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