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大野が立ち去ると、クラブのBGMが鼓膜にどっと押し寄せて来た。
今まで二人で話していたのは幻だったのではないかと錯覚してしまうほどに、それは鼓膜にうるさく響いた。
朝比奈は先ほどから感じていた嫌な胸さわぎを再び思い出すと、紅美のことが頭を過ぎった。
今、紅美は狙われている。実の母親にさえだ。
紅美の真剣な瞳、柔らかな笑顔に芯の通った強さ、それらは全て自分にはないものだった。
紅美を傍に置きたい気持ちは単なる独占欲からだったのか、自分で自分の行動がわからなくなって朝比奈は戸惑いを覚えた。けれど、そんな紅美が今、泥沼へ引き込まれようとしている。
いまさら黒く染まっていた手を洗い流して紅美に差し伸べたところで果たして彼女は自分の手を取ってくれるのだろうか。
今、自分に出来ること……それは――。
「何考えてんだ……いまさらだろ」
ボソリと呟いた朝比奈の独り言は、絶え間なく流れるクラブのBGMにかき消された――。
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