序章 予感

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私は今年、38歳になる。 夫は今でも、私の誕生日には「花」をくれる。 夫がくれる花は毎年決まって、ガーベラ、だ。 私が好きな花を、彼は知っている。 ガーベラの花言葉は、燃える神秘の愛。 付き合い始めた頃、確か横浜にドライブのデートに行ったときに、彼は私に「好きな花」の名前を尋ねた。 私は22歳で、彼は28歳だった。 入社したばかりの私は、 毎日の仕事をこなすのが精一杯だった。 一般職とはいえ、事務の仕事は想像以上に覚えることが多く、 夜、遅くまで残って仕事をしていた。 事務職の女性のほとんどが退社している中で、 ひとりで黙々とパソコンと格闘する私に、 「大丈夫? 何か手伝おうか」 と声をかけてくれたのが彼だった。 彼は営業担当の部署で課長をしていた。 私は彼にその言葉をかけられるまで、 彼のことをほとんど知らなかった。 正直言って、男性として意識したことなど、 一度もなかった。 彼は、とても平凡な顔つきの男だった。 会社の女性の間では、少しかっこいい社員がいると、 瞬く間に噂になる。 どこどこの部署の新人がかっこいいとか。 あそこの部署の部長は渋くて、男らしいとか。 彼はそんな女性の噂の対象になるには、 およそ無縁の存在だった。 どこにでもいる、平凡な顔つきの男。 それでも、彼の名前が「片岡」だということは知っていた。 彼は顔つきこそ平凡だったが、営業部署の中では仕事のできる存在として知られていた。 28歳という年齢で課長に抜擢された片岡。 そんな枕詞と一緒に、私は彼の名前を知っていた。 だから、 彼が声をかけてきたとき、私はどう反応してよいか少し困った。 仕事ができない自分に焦っていたこともあったけど、 営業部の彼に同情されるほどじゃない、という気持ちもあった。 自分が情けなく、焦っていたけど、 負けるか、ってゆう気持ちもたくさんあった。 そんな私の気持ちを察したのか、彼は、 「あ、ごめん。 邪魔するつもりはなかったんだけど」 と慌てて続けた。 それでも何も言わない私に彼は困った顔をして、 頭をかきながら、少し顔を赤らめていた。 「お先に失礼するよ。 頑張ってね」 と言って、彼は足早にオフィスを出ていった。 その1週間後、私は彼と横浜に行ったんだ。
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