Andante - 彼女へのお礼

3/13
83人が本棚に入れています
本棚に追加
/79ページ
 彼女と出会ったきっかけはとある絵画だった。二十数年前、まだ彼女が小学生になる前の話である--日比野夏彦という著名な抽象画家だった父親が亡くなり、悪どい画商に遺作を奪われたが、それを彼女のもとへ取り戻したのが悠人なのだ。日比野夏彦の遺作ということで美術的価値は言うまでもないが、娘の彼女にとってはかけがえのない形見でもあるだろう。  それきり二十年以上ずっと没交渉だったが、半年ほど前に彼女が訪ねてきて再会した。仕事の依頼が目的だというのは本当だったと思うが、悠人に会いたい気持ちも少なからずあったようだ。初めて会った子供のころに悠人を好きになり、再会してあらためて好きになったと告白された。だが、悠人の方は澪と結婚するつもりでいたので、彼女の好意を煩わしいとしか思えず、誘いはすべて断っていた。つまり、今のところは単なる仕事上の知人でしかない。  そんな彼女に図々しくもプライベートなことを頼んだのだから、礼をしなければならないだろう。決して忘れていたわけではないのだが、忙しい日々が続いてこれまで放置していた。今さらではあるが、再びコーヒーに口をつけてから充電中の携帯電話に手を伸ばした。
/79ページ

最初のコメントを投稿しよう!