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小学生の頃、イジメを克服した後。反発を買わないよう誰とでも愛想よく接していたら、何故かやたらと気に入られてしまった相手がいた。
健治を生涯の友とでも思っているようで、事あるごとに話しかけてきた。健治の側では相手をそれほど親密に思っていなかったのにである。
相手は普段の生活、今後の進路から人生観に至るまで、頼んでもいないのに勝手に曝け出して来て、それだけならともかく見返りを求めた。つまり健治につきまとい様々な事を聞き出そうとした。
健治は自身の人格を晒すのも、時間を束縛されてゲームの邪魔をされるのもまっぴらごめんだった。だから相手をやんわりと避けるようにした。
だが相手は「俺が何か悪いことをしたのなら言ってくれ」と、より健治に積極的に絡んできた。相手を敵に回さないように気を遣いながら、普通のクラスメートの関係に戻るまでは数か月を要した。酷い経験だった。
―他人と親密になるのは、それはそれで厄介なことだ。
誰かと反目すれば、相手は敵となり自分の邪魔をする。一方で親密になりすぎれば、逆に相手は自分を束縛しようとして結局自分の邪魔をするのだ。
それが健治の人生観だった。結果生まれたのが「近過ぎず、遠過ぎず」というポリシー。表情を取り繕っての当たり障りのない付き合い。
だから今も偽りの表情で応えるのだ。それは殆ど無意識で反射的に、健治が相手を気に入っているかどうかに関わらず行われている。
相手との距離は近すぎないか。慣れ慣れし過ぎないか。逆によそよそ過ぎはしないか。そんなことに気を遣いながら相手を観察する。
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