第1章

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 それ人は邂逅ともいう也。  時代は徳川三百年の平定を迎える。 門の格子で百叩きにあった人々も、いまや何も恨むまい。 しかし、その苦痛は癒される事もない。  伏見の城にあった百叩きの門は、徳川幕府の夜明けと 歩調を合わせて、京都上京七本松出水の寺、観音寺の 入り口に再利用された。門はエコロジーでいいだろう。  だが、咎人の悲痛はエコロジーされたりはしない。 解体された伏見城に代わって、夜な夜なこちらの 寺の潜り戸から呻き声とともに、亡者が這い出てくる。  京の都は怨念だらけ。京の都は屍だらけ。  その苦しみを梅林和尚が、百日間もの断食をして苦痛を 分かち合って、亡者を鎮めたと伝わります。  はてさて。楠一枚板で造られたこの観音寺の門は、 何度もの火災にて、詳細は判らぬとのこと。 あったかも判らぬ芸術は、今や門を残すのみ。  それにしては面妖な事に御座いますが。  この観音寺のご本尊、聖観世音菩薩さまは本来は 一条戻橋付近の寺にあった物を、お移り願ったそうな。 浄蔵貴所が父の三善清行を蘇生させた記録もありや無し。  一体持って、この寺の何を苦にして潜り戸を。 抜けて出やるか亡者ども。本当に主らは咎人なのか。 これは単なる枕噺に過ぎませぬ。努々御気になさらぬ様。  されど、この門は現在も残っておりますが。 潜り戸には釘が打ち込まれておる次第にて。 誰もこの戸を開けてはなりませぬ。  フヒヒ。痛いよお。
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