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──僕が「M」を異性として意識したのは中学生の終わり頃だった。
「M」は魅力的で、美しい女性に成長していたのだ。
けれど、その優しい性格も、柔らかい物腰も、朗らかな笑顔も、長い黒髪も、まるで変わっていない。
だから僕にとっては「M」は、昔からの大切な幼馴染というイメージが崩れにくい存在だった。
彼女は僕をよく知っていたし、僕も彼女をよく知っている。
僕が負けず嫌いな事も、頑固な事も、一転してズボラな事もよく知っている。
一方で彼女がそそっかしい事も、世間知らずな事も、意外と子供っぽく怒る事も僕はよく知っていた。
住んでいる距離は遠いのに、心はとても近くにあった。
だから僕は「M」がとても思い悩んでいる事に、
僕を想い、苦しんでいた事に気付くのが遅れてしまったのだ。
──ある冬の事だ。
自宅の電話が鳴った。
僕が取ると、電話の相手は「M」だった。
僕が用件を尋ねると「M」は小さな声で一言僕に「会いたい」と告げた。
その様子があまりにもおかしかったので彼女を問い詰めると、「M」は酷く暗い声で「でも私、本当はもう貴方に逢う資格なんかないの」とそう答えた。
暫くその意味が解らなかった僕は、少しづつ頭の中で、真っ白になったその頭で「M」の話した言葉の意味を理解しようとする。
啜り泣く彼女の声にどうする事も出来ない僕は、考え得るあらゆる言葉で「M」を慰めた。
けれども、言葉は肝心な時に届いてくれない。
どれだけの言葉を注いでも「M」の啜り泣く声は止まらなかった。
──古くから伝わる、今はもう忘れられたしきたりが僕の生まれた、「M」と出会ったあの場所には、あった。
「贄の少女」と言われるそれは、町の権力者が見定めた少女を一人、一夜のみ慰み物に出来ると言う悪しき風習であった。
だが、この平成の世にそんな非人道的な風習は行われていない。
そうでなければ両親はあの町に近寄りすらしないだろう。
「M」が嗚咽混じりに語る話は、「贄の少女」を知った権力者の息子が元より余所者だという「M」の立場を利用し、家族の生活すら脅かすと恫喝し、「M」に暴行をしたと言う事だった。
僕は、生まれて初めて殺意を覚え、目の前が真っ赤になり、気が付けば電車に乗り込んでいた。
「M」の太陽のような笑顔と、啜り泣く痛ましい声だけがずっと胸に残ったまま、ただ感情のまま「M」の元へ向かった。
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