161人が本棚に入れています
本棚に追加
そうは言っても、駅から三笠家までの距離は徒歩でおよそ5分。
自分の住む街を案内して歩くほどのものではない。
心の準備を整える間もなく、茶色い我が家の屋根が見えてきた。
「……うへー、緊張する」
「『うへー?』」
「あ、ごめん。色気も何もないわね」
「……お前。肝試しやお化け屋敷で『きゃー』とは言えないタイプだろ」
「お察しの通り」
「まあ、明確に『きゃあ』と発する人間にお目にかかったことはないが」
「可愛いわよね、咄嗟にそれが出れば。私なら多分……」
「多分?」
「『ぎょえー』」
「……」
黒川くんはまじまじ私を眺めて、最後に憐れみのこもった意味深な視線を残してから、何事もなかったように前に向き直った。
ふん、いいのよ別に。
私に色気を期待する方が間違いよ。
「しかし、なぜにお前が緊張する? ここで緊張するのは本来俺じゃないのか?」
話題の主旨が元に戻って、ホッとしながら彼を見上げる。
そこには緊張の欠片も見出だせない真顔。
「そうなんだろうけれど、黒川くん、全然してないでしょう」
「いや。多少は緊張している」
「それは嘘よっ!!」
「嘘とは失礼な。まあしかし、結婚の挨拶に行く訳じゃないからな。彼氏という立場で家に遊びに行くシチュエーション。まだまだ逃走可能な位置だ」
「逃走っ?!」
「そうそう」
「……ひどすぎる」
という、結局また色気も何もない会話を終えたところで、我が家に到着した。
最初のコメントを投稿しよう!