消えた真実

2/36
前へ
/918ページ
次へ
遠くでクラクションが鳴るように、人のざわめきと精密機械のアラーム音がくぐもって耳に届く。 鼻を突くのは消毒薬の不快な臭い。 ERの扉を前にして向かい合う麗香と私は、重々しく漂う緊迫感の中で苦い唾液を飲み込んだ。 「心臓外科と消化器外科?直江先生が肝臓の処置に悪戦苦闘を……」 凍て付くような沈黙を打ち破った私は、語尾を彷徨わせ顔をしかめる。 やはり、全身強打による内臓損傷が激しいんだ。 血液の循環中枢である心臓は勿論のこと、肝臓は血液が豊富に存在する臓器。太くて壁の薄い門脈が裂けた場合の大出血は特に止血が困難で、致命傷となり得る。 悪戦苦闘と言うことは肝動脈よりも寧ろ門脈。また、その周辺の肝組織が著しくダメージを受けていると言う事なのだろうか……。 同時に手を付けている心臓に関しては、受傷状況からしておそらく心臓外傷が原因の心タンポナーデ。 心膜腔に貯留した血液を抜き、心臓の圧迫を速やかに解除しなければショック状態から死に至る。 門脈断裂と心タンポナーデか…… 麗香から送られてきた『ヤバイ』の文字が、震えと同様に私の頭の中にも過った。その瞬間――― 麗香が一度も口にしていない重要な存在が、職業病とも言える冷静な思考を遮った。 「子供は!お腹の中の子供はどうなったの!?」 大きく目を見開いた私は顔面を蒼白させて、親友に詰め寄る勢いで声を張り上げた。 不意に脳内のスクリーンに映し出されたのは胎児の無惨な死。 胎児を失った過去の記憶まで引き摺り出され、表情が悲嘆で染まっていくのが自分でも分かる。 「……いないのよ」 「えっ……いないって……」 「彼女のお腹に子供はいない。搬送されて直ぐに悠希がエコーで確かめたの」 麗香はポケットに入れていた手を抜いて胸の前で組ませると、目を細くして声を潜ませる。 「確かめたって……そんな筈はないわ!彼女のお腹には4ヶ月になる子供がいるのよ?直江先生がいい加減な事をっ」 「悠希からその話を聞いて、私もエコーで確かめた」 「……」 「どんなに探しても、胎児の頭部と脊椎は映って無かった。見えたのは、内臓損傷による大量の血液だけよ。……彼女は、妊娠していない」 私に近づきながら慎重に声を落としていく麗香。
/918ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16207人が本棚に入れています
本棚に追加