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ちょっと待って……
楓ちゃんが、妊娠をしていない?
私は顔を石のように硬くして、愕然とその場で立ち竦む。
「亜紀、ちょっとこっちへ来て」
壁の一点に目を向けたまま動かない私の肩を掴み、麗香が周囲に気を配りながら耳打ちをした。
麗香と共に身を隠したのは、この時間帯は使われない診察室。
部屋の明かりを灯した麗香はドクターが座る椅子に腰掛け、院内専用のPHSを白衣のポケットから出して机の上に置いた。
「病棟からの呼び出しは大丈夫?」
診察ベッドに座る私は、PHSをちらりと見る麗香に向かって力の無い声を発した。
「うん。今夜は割と落ち着いてるから大丈夫。……それよりも。楓の妊娠の件はどういう事かしら。お腹に子供がいない事実が分かった今、妊娠は虚言だって事よね」
「私にも何が何だか分からない。突然の事で頭が混乱して……」
妊娠が嘘だなんて……どういう事?確かに遼は『虚言』だと言っていた。目的のためならそんな嘘くらい平気でつける、狂った女だと。
あの胎児のエコー写真も、何らかの小細工をして作り出したもの?愛おしそうに腹部を撫でる仕草も、女として勝ち誇ったあの表情も。
『母子手帳を見せましょうか?』と迷う事無く言った、飄々としたあの態度も全て演技だったと言うの?
思考回路がオーバーヒートして続ける言葉も見つからない。
顔をしかめて黙りこくる私をただ見つめ、麗香はまだ何か言いたげな目をして眉根を寄せている。
「……どうしたの?」
胸の中で不吉な予感が渦巻きながらも、親友の表情の意図を求めて低い声を絞り出す。
「―――心臓の方のオペレーターは宮坂先輩なの」
「……え?……遼?」
「どこで楓の話を聞きつけて来たのかは分からないけど、突然ERに現れて……消化器との同時オペの船頭を切ったのも、実は亜紀の旦那なの」
「突然ERに現れてって……」
当直でも無い、待機でも無い遼がどうして!?
私の電話に応答しなかった理由は明らかになった。けれど、今度はタイミング良く登場したその過程が闇に包まれる。
まさか……
「……楓ちゃんの自殺未遂には……遼が直接関与してる?」
憶測するにも怖気を震う内容。大きく顔を歪める私は膝の上に置いた両手を握り合わせ、滑り落とした言葉を引き戻そうと大きく息を吸い込んだ。
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