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それ以上は何も言わず、遼は部屋から立ち去ろうと扉に手を掛ける。
「あら、回診はもう終わり?」
「さっきペースメーカーを入れた患者の様子を見に行く。病室に戻っている頃だ。その後も、オペが夕方まで詰まっている。いつまでもこんな所で油を売ってる訳にもいかない」
「そう、それはそれは。油売りが得意な医師が売れっ子外科医を引き留めて悪かったわね」
こちらを振り返りもしないその背中をジッと見つめ、麗香が皮肉混じりの言葉を投げつける。
彼は一瞬の間を置いて、ゆっくりと顔を向ける。
彼が一直線に伸ばした視線の先に居るのは、砂を噛むような不快な表情を浮かべたままの私。
なっ……なに!?
不意に投げられた視線に驚いて、デッドボールを食らったかの様に思わず肩がビクッと揺れた。
「……そう言えば。お前達がこの部屋に来た時、面会人は居なかったか?」
「えっ?……面会人って……誰も居なかったけど……」
「……そうか。それならいい」
彼は素っ気なく言うと、再び私達に背中を向けて扉を開けた。
扉が開かれて行くと同時に、室内に漂っていた重苦しい雰囲気を中和させて行くように、廊下の明かりと人々の気配が室内に流れ込んでくる。
私は外の世界に身を潜めて行く彼の背中を見送って、深いため息をついた。
「―――確かに旦那の言う通りね。亜紀の悩みの種が一つ、自ら消滅してくれた」
椅子に腰をかけ床に視線を置く私の頭上に、麗香の声が落ちてきた。
「……」
私は口を結んだまま彼女を見上げる。
「この娘の心境にどんな事件が起きたのかは分からないけど、これで彼女が亜紀に付き纏う事は無い。こんな言い方はなんだけど……今のこの姿は、神が与えた彼女への罰。亜紀には関係ないわ」
麗香は慎重に言葉を連ねると、指先一本も動かす事のできない楓を見つめて眉を寄せる。
「―――神が与えた、彼女への罰?」
「そうよ。この世にある何かから逃れるために自殺を図ったのに、助けたのがその『何か』の原因であろう人物に助けられるなんて……皮肉なものね。これは彼女にとって、何よりも残酷な仕打ちなのかも知れない」
この結末は、遼が彼女に与えた仕打ち?
――――違う。
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