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「……うんだ……違うんだ……違うんだ…………だけなんだ……」
私が声を掛けると、Aさんは天井を見つめたままブツブツと話し始める。
その声は小さくて、モニターから流れる心拍音で消されてしまうほど。
「えっ?……何ですか?」
私は首のガーゼを抑えながらAさんの口元に耳を近づけ、その掠れた声を聞き取ろうと耳を澄ませる。
「……違うんだ……こんなつもりじゃ無かったんだ……
僕はただ助けたかっただけなんだ……
助けたかっただけなんだ……違うんだ……違うんだ……
どうしてなんだ…どうしてなんだ……」
私の聴覚が捉えたのは、呪文のように繰り返される不気味な言葉。
「……先生、どうやら自殺したかった訳じゃ無いみたいですよ」
「えっ、Aさん今なんて言ってたの?」
「こんなつもりじゃ無かったって。誰かを助けるためにやったみたいです」
「はっ!?誰かの身代わりになって首を切ったってか!?」
手首には、それ以前に付けられた無数のリストカット痕がある。
自殺企図に間違いは無い。言動もおそらく幻覚を見ているのか、自分の世界にどっぷり漬かっているのも間違いは無い。
――――と、思いつつ。
「あっ!分った!誰かを助けるために誰かにやられたとか!好きな女の子がナイフ持った悪い輩に絡まれてて、助けようとして刺されたとか!?」
勤務中であろうとも、無意識に頭の中で自分好みのシナリオを暴走させてしまう。
「おおっ!それかっこいいな!って、そんな訳ないでしょ!またそうやって妄想に突入して」
先生は縫合しながら呆れたように苦笑する。
「すみません、そう言う性質なんで」
Aさんにも「不謹慎なナースですみません」と心の内で謝罪したその時、
「Aさんの実家は熊本で、こっちには身内が誰も居ないそうです!」
付添人から情報収集をしてきた加藤さんが、焦燥感を露わにして処置室に飛び込んできた。
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