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「下のシート血まみれだけど、そのまま台に乗せちゃうよ!」
坂上先生の声。
「もう台が汚れようが何でも良いです!行っちゃってください!」
躊躇せずに返す、矢田部さん。
通常は、オペ台も床も直接の血液汚染をさせないようシートを貼って防御するが、この期に及んで悠長な事は言っていられない。
「何でもかかってこい!」と言わんばかりの矢田部さんの声が、更に私の緊張感を煽ぎ、叩き打つ心臓の鼓動と共に全身に冷たい汗を感じる。
Aさんはオペ台に横たわり、坂上先生が傷の周囲に麻酔をかける。
「櫻井さん、Aさんの意識状態の確認とモニター管理をよろしく」
「はい。点滴の速度はどうしますか?」
「一本は全開で。もう一本はその2分の1で」
私は先生の指示に頷いて、モニター管理と記録、点滴交換と薬剤投与を行う。
ドクター二人と矢田部さんは手洗いの後、滅菌されたオペ着に着替えてAさんの体全体にブルーの滅菌シートを掛ける。
「Aさん、私の声が聞こえますか?」
「……はい」
相変わらず蚊が飛ぶような弱々しい声ではあるが、Aさんはしっかりと返答をしてくれる。
「今から一か所太い血管の出血を止めて、傷を縫います。そんなに時間のかからない処置なので、動かず、声を出さずに頑張って下さいね。局所麻酔はかかっているので痛みはありませんから」
―――とは言うものの。
歩行可能な状態でありながら、外来での処置中からAさんは全身麻酔が掛けられているかの様にピクリとも動かなかった。
一般的に、Aさんだけでなく統合失調症の人は痛みに鈍感だとは言われてるが……
この無痛とも思える状態こそ、統合失調症の診断とその病の重症さを感じさせる。
「先生、意識レベルは変わりません。バイタルも変動なし」
「よしっ!んじゃ、ちゃっちゃとやりますかね~。お願いします!」
メスを右手に構えて、坂上先生が緊急オペとは思えぬ軽快な挨拶をする。
場馴れしたドクターとは言え、この緊迫した状態の中で、これだけ周囲の肩の力を上手に抜かせてくれるドクターは貴重な存在だと私は思う。
「「お願いします!」」
私達は一呼吸置き、坂上先生の後に続いて声を合わせた。
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