第1章

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「就職したの? 今はどこ?」 律子の勤める商社に彼がいたのは三年前の話だ。 派遣でやってきた彼と一年ほど一緒に働いた。 その後就職したというところか。 優秀な人だったから、とそれも思い出した。 きっとキャリアを活かして、いいところに転職したのだろう。 「知り合いの法律事務所で。アルバイトです」 ふうん。と首を傾げた。 不況下での就職は彼でも難しいのかな、と単純に思った。 難関といわれる大学を卒業し、業界の人なら誰でも知っている大手の監査法人に就職していたと聞いていた。 そこを退職し、律子の職場に彼は派遣社員としてやってきた。    オフィス家具やOA機器、事務用品の販売などを扱っていた律子の会社は、その頃大がかりなシステムの改革作業を行っていた。 長引く不況の中、販売からリース業務へと重点を移行すると同時に、全てをオンライン化し、無駄をなくそうという動きだった。 受注から発注の打ち込み作業、経理の見直しと、その他の様々な流れを抜本的に作り替える作業をするために、経理のエキスパートとして派遣されてきたのが彼、塔野倫宏だった。 データを綿密に分析し、よりよい改革案を提示し、根気強く教えていた。 その仕事ぶりと、外見の良さに当時の女子社員たちがえらく騒いでいたのを覚えている。 特に親しくしていたわけでも、聞き耳を立てたわけでもなかったが、眉目秀麗なやり手社員の噂は律子の耳にも入っていたのだ。 当時は二十五ぐらいだったはずだから、今は二十代後半になるのだろう。 二十八歳ぐらいかな? そう思って見上げると、成る程、あの頃よりも随分落ち着いた雰囲気を漂わせている。 そんな彼が未だに定職に就けずにアルバイトとは、と、少し不思議な感じもした。 律子の職場でも、彼の仕事ぶりを買って、正式に社員として来てくれないかと打診したとも聞いている。 だがそれを断って、塔野は期限が来ると、あっさりと去っていったのだ。 大体せっかく就職していた大手の会社を辞め、派遣社員をしていたのだ。 就職出来ないのではなく、自らの意志でしないのか。 相変わらず穏和な表情で律子を見ている元同僚に、そんなことを考えながら、まあ私には関係ないことかと思い直した。
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