第1章

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短歌、俳句は作者の思いとは別の読みをされることがある。 それはそれとして短歌を楽しむ上で奥が広がりいい歌なのでしょう 選者を務めるある有名歌人は言っています 「添削されるのはいい歌だからです、悪い歌は添削のしようもありません」 ヱブ短歌で添削をされたと機嫌を悪くする人に聞かせたい言葉です 勝手に添削をするのも改作をするのも褒められたことではありませんが自分が上を目指す気持ちが少しでもあるなら喜んで他人の助言は聞いて損は無いと思う。 私は辛口でいいから評をして欲しいと思うのですが批評するにも値しないのか助言とかヒントが貰えません。雅は歌に対しての真面目な意見なら例え的外れでも歓迎いたします。 同じ歌が違って読まれる例を見てみましょう。 *閉めました分りましたの合図して銀行出て行く現金輸送車* この歌は地元新聞の歌壇に採られた歌ですが結社の先生が視るところ 銀行がでていくのか 銀行からでていくのか分らないとのお言葉でした 理屈を言えば確かに銀行が出て行くようにも読めます しかしこれは善意の解釈ではないと思う 何故なら常識的に考えて銀行が出歩くことはないのだから素直に銀行を出て行くと読んで欲しいところです。 雅が一度だけ編集長からアドバイスを受けた歌を参考までに *目の限り雪に埋まりて仄の明かり街は静かに年改まる 評 仄の明かりは仄明かるでしょうか。仄明かりは街にかかる働きが少し切れますね。このような微妙な言葉運びが歌の調べを左右します。 *大雪に果報は寝て待つ3ヶ日明日を頼りて体力つける 評 三日寝て待てば作者だけに何か果報があると決まっているのでしょうか、一般に言う「果報は寝て待つ」でしょうか、一般概念に受け取られる作品が作者を離れます。これは大切な作歌上の警告です *元朝の雪に新聞配達の人のみ動き足跡を置く 評 意味は分りますが意味は作者のみの詠嘆にほかなりません、例えば新聞配達の人の足跡雪の上に、くらいで情景をはっきり出した方がよいと考えます 「人のみ動く」は強調しすぎとわたしは考えます 徳州会地域医療部の伊集院さん伊津部訛りが色濃く残る 評 これまでの三首より一番作者の個人としての眼が光っています 俗にいう一般常識を抜け出るとでも申せましょうか 医療部は少し集点がぼけますね。医療部局の事務員さんも場合によっては入れてもよい。
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