Scene2

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と、トレンチコートの女は、近づいて来る男に気づき、振り返った。 「かーわーもーとー、遅い!」 不満たらたらの口調でこう言いながら、女が歩み寄る。 テレビのマンガのキャラクターかと思うような声。初めて聞く人間は、ぎょっとするかもしれないが、それが地声なのだからしょうがない。 「わたしとモトピー、ぶっちぎりの一番乗りだったんだよ、機捜より早かった」 「状況は? 伊織」 川本は、女の言葉を完全に無視して訊ねた。 「検視まだなんだけどね。転落死っぽい」 『伊織』と呼ばれた女が応じる。 靴カバーと手袋をつけながら、川本が「どこから?」と訊く。 「あそこ」 手にしたペンで伊織が指し示した先は、五階建てのビルの屋上だった。 『警視庁』と黄色のロゴの入った紺のつなぎを着た鑑識の背中が、見え隠れしている。 川本は、その屋上を一瞥すると、屈んでビニールシートを捲った。 横たわっているのは、東南アジア系の青年だった。頭部や鼻孔から出血している。 その傍に、二十代半ば過ぎとおぼしき刑事がやってきた。 細身のスーツに身を包んだ、全体的にこぎれいな感じの、『今どきの若者』だ。 川本が、そちらを向いて問いかける。 「本橋(もとはし)、身元は分ったのか?」 若い刑事は、手帳を開きながら答えた。 「はい。外国人登録証、所持してたんで。タイ人です。名前はス、スリヤ・チャイル、チャ、チャル」 川本は立ち上がると、眉をひそめて本橋の手帳をのぞき込む。 「『スリヤ・チャイルンルアン』ね。まだハタチそこそこか、気の毒に。目撃者は?」 「いや、それが。機捜とこのあたり当たってみたんですけど。六時前くらいの中途半端な時間だったんで……そもそも人自体が、あんま居なくて」 本橋がくだくだと言い訳めいたセリフを吐いていると、検視官の一行が到着した。 川本たちは、しばし場を譲る。 歩きながら、川本がコートのポケットに手を入れる。そして、伊織の方を振り返った。 無言で、缶コーヒーを一本放る。 無糖ブラックの方だ。 そして、自分は激甘ミルク入りの方のプルトップを開け、缶に口をつけた。
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