PROLOGUE

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   大江戸線ができるまでは、東京で「一番長かったのではないか?」と思われる、地下鉄H蔵門線N田町駅のエスカレーター。 そこで、マヒルは久し振りに、「それ」を見てしまった。 昨今は、エスカレーター本来の利用法がなされるのは、その左側だけである。 すなわち、段の上にじっとのっかっていると、人間が上へ上へと運ばれていく。一方、右側は、いわゆる逆トレッドミル的な使い方がなされる。 東京の地下鉄エスカレーターでは、このような状況が一般的となるものだ。 その日も、N田町駅のロングエスカレーターの。 その左側の方に、マヒルはおとなしくのっかっていた。 何気なく視線を上げると、一段上には勤め人らしき男が立っている。 ……四十前後かな? ディバッグを背負って、白いYシャツ。 紺のポリエステル混ウール風のスラックス姿だが、ジャケットは着ていない。 典型的に平均的な「役人」風。 でも、I種キャリアっていう感じでもないような、何となくだけど。 印刷局とか、県立高校の事務室とかにいそうな?  うん。現業公務員っぽいかなあ。そんな感じもする。   その男を見たマヒルの第一印象は、こんな感じだった。  マヒルは、男の足下に落とした。 紺のスニーカー用コットンソックス。数回洗濯済みって感じ。 その足に履かれていたのは……。 便所サンダルだった。   それも、ものの見事に『黄土色』の。 あまつさえ、薄いマーブル模様まで入っているではないか。 なんとも、昨今では、ちょっとお目にかかれないオーソドックス・バージョンだった。 各停列車しか停まらない私鉄駅前の商店街にある、年に数回の小中学校指定体育館履きの売上で生き延びているような、ひなびた履物屋に置いてある便所サンダルだって、今時、水色やピンクといったファンシーカラーだというのに! マヒルは考えた。 ……何だろね。足の指股あたりの深刻な病でも患ってらっしゃるのだろうか。 やっぱ、そういった闘病生活には、便所サンダルが基本なのかなあ。ビルケンシュトックとかのオシャレな履物、買ってる場合じゃないのかな? 薬代がかさむとか? 「早く治るといいですね」 マヒルは心の中で、紺ソックスの勤め人にそっと語りかけた。
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