便利屋はルージュをひく

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「夜の九時。 いいから早くして」 そう言い残して雲母はヒールの音を響かせながら部屋を出て行ってしまう。 「店って、何の店ですか!?」 和希の問いに答える気はないらしい。 殴られた頬を抑えながら、和希はベッドから起き出した。 どうやら殴られたのは夢ではなかったようだ。 自分に何が起きたのかを必死に思い出そうと、記憶をさかのぼる。 あれは昨日。 ヤクザから解放された自分は教師生活終了の宣告を受けた。 そしてそのまま半ば強引にどこかのバーに連れて行かれ、そこで散々飲まされたことまでは覚えている。 そこから奇妙な夢を見て、起きてみれば見知らぬ場所にいるではないか。 どうも昨日から、見知らぬ場所で目覚めることが多い。 一般人は、一生に一回誘拐されることだって珍しいだろう。 和希の場合、二日連続で拉致・誘拐されている。 それでもある程度自由があるだけましか。 そう言い聞かせ、自分を無理に納得させた。 息苦しかったのは、カラーシャツにダークカラーのジーンズのまま寝ていたからだろう。 テーブルの上に、まだタグがついた新品の洋服がたたまれて置いてある。 ダークグレーのシャツに、ブラックのチノ・パンツ。 しかも有名なアメカジブランドのものだ。 それぞれ一万円以上はする。 「着替えた?」 奥から雲母の声がする。 「これ、僕のですか」 「そうよ。 他に誰が着るの」 「こんなにいいもの、貰えませんよ」 「誰があげるって言ったの? ちゃんと給料から差っ引いておくわよ」 目の前の高級服のありがたみが急に消えた。
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