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金木は急ぎ足で上ってきた階段を降りた。天王寺はそれを見送り、踵を返して第一音楽室の戸を開けた。
そこから聞こえてきたのはーー
「君、音を間違えているよ」
チェロの音が途切れた。奏者が振り返ると、天王寺は驚いたように目を開いた。しかし、それは一瞬のことで、天王寺は咳払いをして奏者に近づいた。
「さっきから弾いているアルマンド、音が違う」
奏者は訝しげに天王寺を見、ある箇所を弾いた。
「そう、そこ」
「ふーん…」
奏者はアッシュブラウンの髪をかき上げ、薄水色の双眸を細めた。
「もしかして、アンナ・マグダレーナ派?」
そう言って、再度弾き出した。天王寺は首を傾げて「知らん」と言ったが、この奏者が弾いているのが自分のよく知っている箇所である事に気付き、「あ、これならよく聴く音だ」と言って奏者の前に置かれた椅子に座った。
奏者は薄水色の双眸を閉じ、最初から弾き始めた。
「バッハの無伴奏チェロはすべて正しい音で弾かれているわけじゃないんだよ」
奏者はアンナ・マグレーナのB♭を再度弾いた。
「君、ここの生徒じゃないだろ?」
「正解。なんで分かったの?」
「君がここの生徒なら直ぐに見つけるからさ」
アッシュブラウンの髪の青年は苦笑して弾くのを止めた。
「あなたも部外者でしょ?」
「まぁね。後輩がここにいるんだ。もしかして、君はこの音大を受けるのかい?」
「はい。推薦で」
そう言って青年はクロスでチェロを拭き、ケースに入れた。
「なら…君、僕の為にチェロを弾く仕事をしないかい?勿論、住み込みで。僕の家、ここの近くなんだ。寮もあるだろうけど、稼げるし近いし便利だと思うけど」
薄水色の双眸が見開いた。突然の出来事すぎて状況が飲み込めていないようだった。
「でも、俺まだ受かるどころか受けていないし」
「僕の目に狂いはない、君は必ずこの音大に合格する」
青年は片眉を上げて天王寺を見た。
「とても魅力的な条件ですが、何で見ず知らずの俺にそんな事を?」
天王寺はニヤリと口の端を上げて言った。
「僕の理想の弾き方で弾くからだよ。チェロ、僕の為に弾いてくれないかい?」
青年の双眸は揺れた。
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