Courante

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風間は譜面台に楽譜を置いて弦に弓を当てた。 演奏中、ジッと見つめる天王寺の真っ直ぐな視線を感じながら、己の内側にある謂れのない感覚に飲まれそうになる。 風間は目を閉じ、自然の流れを意識して腕を動かした。じゃないとこのまま己の感情に負けて演奏出来なくなってしまう。 これが即興なら話は別だ。しかし、今弾いているのは決められた楽曲。今の自分の心とは懸け離れた内容の音調だ。今更ながら何故この曲にしたんだろう、と後悔した。 弾き終わって目を開ける。天王寺と目が合い、気不味さ故に目を逸らす。すると天王寺が拍手をしながら言った。 「うん。若いっていいね」 どういう意味なのだろうか? 技術の問題か、それとも感情を抑えきれていない甘さか。 何れにせよ、風間はその言葉を肯定的に受け取れなかった。 「どうしたんだい?」 「いや、ちょっと雑念が入り混じってしまって申し訳ないと…」 すると天王寺はフッと鼻で笑って立ち上がり、風間の頭を撫でた。 「だからいいんじゃないか。ただ譜面を読んで弾いた楽曲ほどつまらないものはない。そんなの誰にでもできる」 再度頭を撫でられ風間は顔を顰めた。俺は犬か。 「天王寺さん、何かイメージ湧きましたか?」 「うーん…幾つか出てきたが、どれもしっくり来ないな」 そう言って手に持っていたクロッキー帳を風間に渡した。 そういえば初めて天王寺の絵を見るな。と考えながらクロッキー帳を開くと、そこにはワンピースを着た女性の絵が様々な構図で描かれていた。 傘を差す女性、木陰の元で座る女性、振り向く女性… 「あの、天王寺さん。俺が弾いていても女性のイメージは出てくるんですか?」 「何言ってんの。出てくるさ。それにこの曲は確か女性に人気あった曲だろ?女性が好む曲で女性の感覚っていうのが何なのか体感しようしてるのさ。夜想曲も然り」 だから毎日違う曲を聴いていたのか。風間は天王寺が毎日違う曲を聴く意味を理解した。 「でもね、女性っていうのはこんなお淑やかな姿だけじゃないんだよ。気性が激しい」 今回は使わないけどね。天王寺はそう言って椅子に座った。 「じゃあ次は無伴奏チェロ組曲で」 「第一番ですか?」 「うむ。第一番」 風間は思わず微笑した。 曲を弾いている間、まるで時が止まったように辺りは静かだった。 聞こえるのは、チェロの音色と自分の鼓動。そして、鉛筆と消しゴムの擦る音。
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