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目が覚めたら○○になっていた、というのは些か使い古されたような常套句ではあるけれど、私はその冗句のようなそれが嫌いではなかった。
この澱んだ黒色の退屈な世界の中で、僅かにでも変化をすることができるのならばそれはとても素晴らしいことなのだろうと私は思う。
目が覚めて、虫になっていたとしても。
目が覚めて、子供になっていたとしても。
私は、その突拍子もないような現実を喜んで受け入れるのだろうと思う。
現実、ではなくあるいはそれは夢なのかもしれないが。
私の愛読書に「モモ」という作品がある。
別に、その作品には目が覚めたら何かになっていた、というような展開はないのだが、しかし、この物語の始まりはモモという、少女が廃劇場に唐突に現れるところから始まる。
私は、その場面の読み返すたびに思うのだ。
この少女はどこからきたのだろう。
もちろん、物語内でそれは明記されず、それゆえに物語には全く必要のないものだと分かってはいるのだが、どうにもそれが喉に小骨が刺さったかのような不快感を絶えず感じさせるのだ。
まあ、仮にも愛読書に不快感、というのはあんまりな物言いかもしれない。
不快感、で悪いのならば、抵抗感とでも言い換えよう。
その抵抗感があるからこそ、この物語は私の愛読書足り得るのかもしれないが。
カチリ、とどこからか時計の針が進む音が聞こえる。
……今日もまた、夢から覚める時が来たようだ。
私の夢が、とめどのない、脈絡のない高校生の書いた駄文のようなものから逃れられる日は来るのだろうか。
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