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「夕焼け小焼け」
この意味を私はよく知らないけれど、でも、それは今私がみているような景色のことなんだろう。
昔、歌った童謡を思い出しながら、私は彼の頭に手を置く。
彼は、私のことを見上げていた。
私はその目を、直視することができなかった。
視線を落として、その瞳が私にとって不都合なものに映ったとき、私は罪悪感に襲われてしまうだろうから。
激しく日が落ちてゆくのを見ながら私は言葉をこぼした。
「そろそろ、いかなくちゃ」
つぶやいたそれは、何に当たることもなく空虚に消えた。
彼は何も言わない。
ただ、じっとこちらを見つめているだけだ。
なおも、その視線から目をそらしたまま私は無理やりに言葉を紡ぐ。
「いつかはね、お別れをしないといけないんだよ」
幼い子供たちが手を振って家に帰るように。
「だからね、君も家に帰りなよ。もう、日が落ちる」
彼は何も言わない。
「君も、自分自身の家に帰るんだ。私も」
帰らなくちゃいけないんだ。
遠い昔に逃げ出した家に。
足元におろしたままのボストンバッグが目に入る。
彼は、それを押さえつけるように体を動かして、私に体を寄せてきた。
私は目を閉じて彼を抱きしめた。
「ごめんね」
なんの慰めにもならない言葉を吐き出して、私はバッグを手にとった。
小さな白い彼が、耳をパタパタと振っているのが視界の端に映った。
彼が声を出した。
それが何の意味を持っているのか私にはわからなかったけれど、私は彼に背を向けた。
「・・・・・またね」
視線を一度も、落とすこともないまま。
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