第1章

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「もう一本、線を引かせてよ」 そう言って引いたレザーは、彼の腕に届かなかった。 「てめえ、ふざけてんじゃねえぞ」 がっちりと、俺の右腕を掴んでいるのは、最愛の人。 今までにないくらい、強烈なまなざしで俺を見つめている。 「椎さん…遅かったね」 「残念だよ、由企くん。君のことは割と気に入ってたんだけどな」 「俺は、あんたを愛してるよ」 ほら、正解。 甥っ子に線を引いたら、ありえないくらい珍しい、苛烈な姿を見ることができた。 他の誰も、見たことがないだろう顔。 「二度とその面、見せんじゃねえ」 吐き捨てるように言うと、彼は俺を投げ捨てるように放して、甥っ子の腕をとる。 「のんちゃん」 甥っ子が当然のようにその名を呼ぶ。 知ってるよ。 わかってたよ。 そろそろこの関係が終わりそうだってことくらい。 だったら、いいじゃんこれくらい。 「痛むか?」 「別に…それより、いいの?」 「お前の方が、大事だろ」 最初から俺なんていなかったかのように、最愛の人は甥っ子を引き立てて歩いていく。 きっとタクシーを捕まえて、病院にでも行くんだろう。 最愛の人の慌てている姿なんて、初めて見た。 けど。 「思ったより、つまらなかったな…」 俺はうっすらと血の付いたレザーを、近くのゴミ箱に放り込んで、その場を離れた。 どれだけ欲したって手に入らない。 こんなのは、もう、たくさんだ。
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