その1 一日め それは朝一番の電話から始まった

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◇ ◇ ◇ 裕の実家は青山にある。 彼女の住まいからは徒歩三十分圏内。あっという間、地下鉄にして数駅で実家の最寄り駅に着いてしまう。 都内の一等地に平屋建てという大変贅沢な作りの家に彼女が住んでいた期間は嫁ぐ前のほんの数年間。 生家は奥多摩の一軒家だった。戦前の農家の趣を残し、すすけた梁を持ち、今でも父は書を書く時に籠もる場として使っている。政は『我が家の武相荘』と洒落て言ってくれているが、そこまで洗練された家屋ではない。 何故、父の生家が青山にありつつ、奥多摩で過ごす年月の方が長かったのか、理由を改めて聞いたことはないけれど、自分が子供の頃は奥多摩で、長じてからは青山で暮らせるようになった内的事情が両親にあったというわけだ。自分も家庭を持つようになって容易に語れない物語が人には存在するのだということがわかるようになった。 その、門構えが見事な青山の家に着いてみると。 確かに母が倒れた証しがありありと現れていた。 玄関先に箒で掃除された跡がない。 ここは父が毎朝、石庭のような箒の目をきちんと入れて掃き掃除する。 新聞も新聞受けにささったまま。 これも父が毎朝抜き取る。 父不在時は母が引き継いでいるわけなので、放置はそもそもあり得ない。 どちらもする気になれないくらい落ち込んでいる証拠だ。
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