その1 一日め それは朝一番の電話から始まった

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◇ ◇ ◇ 「どうだった? お母さん。おばあちゃんは? ねえねえ、どうだった?」 開口一番、娘は母親にまとわりつきながら言った。 「大丈夫、罹り始めだったから思ったより重くなかったから。マナに心配しないで、って言ってたわよ」 でもでも、と娘は顔をしかめ、下唇を突き出す。 「お見舞い……行きたいって言ってもいい?」 「それは、どうかしらね」 裕は少し前の自宅での光景を思い返す。 ゆったり茶を飲んでいた母は、しばらくして「ちょっと横になりたいわ」と言い、布団の中の住人になってしまった。 大慌てで居間にごろ寝できる仕度をした父は、文字通り腫れ物を扱うように母を寝かせた。 脇腹に疱疹ができているので、触れるとやはり母は辛そうな顔をする。 自分を見下ろす夫へ向ける母のまなざしは裕が知らない種類の色が混ざっている。 幼い少女のような、あどけない頼り切った顔で父を見上げている……。 ふたりきりにしてあげよう。 裕は足音忍ばせて、静かにその場を去った。 家へ帰る地下鉄の中、母が力なく横たわる姿が始終思い浮かんだ。その様子に少なからず心にさざ波が起きて、朝の父の慌てぶりや、だるまのように母の枕元に侍る悄然とした様子を見て少しも笑えないと思った。
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