§1 新入社員と4月の海

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「はい。もしもし。幹太?」  夕食後のロビー、この春入社したばかりの新入社員たちと談笑していると私のスマホが鳴った。画面には私の主人「幹太」の表示。正直なところ私は驚いた。私のスマホに掛けてくるなんて何週間振りだろうって。  いつも幹太はメールで済ませる。それは通話が面倒だからという理由ではないのは私も薄々感づいていた。結婚して初めての長期出張、その私に用事があって掛けてきた。それが“醤油はどこ?”というようなたわいもない問い掛けでも私は嬉しかった。これを機に幹太とやり直すきっかけ作りになるかもしれないと思うと久々の着信に心が躍る。 「もしもし?」  しかし、カサカサという摩擦音が聞こえるだけで、何の反応もない。 「よく聞こえないんだけど。幹太……?」  切れてしまったのかとスマホを耳から離して画面を見たけれど、通話時間数の秒はキチンとカウントアップされている。通話は続いているらしい。周りの賑やかな話し声で聞こえにくいのかと思い、私はロビーから移動して玄関から外に出た。  暗い空、ロータリーに街灯がひとつだけ輝いている。ここは田舎に建てられた保養所兼研修施設。社員研修や会議などに使われていて、人事部の私は新入社員研修のお供で来ていた。  4月初旬、近くにある海岸からの風は冷たく、ほんの少し潮の匂いがする。暗くて海岸線までは見えないけれど、海の存在はしっかりと感じられた。ゾクリとする背中……それは冷たい風のせいだと思いたかった。 『あ、ああ。いいっ……そこ』 「え……?」  思わず耳を疑う。だってスマホから聞こえてきたのはガサガサという布の擦れる雑音に混じる、女性の喘ぎ声。
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