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聞き違いかと思い、耳を澄ます。しかし、聞こえてくるのは荒い息遣いとカサカサ音。その艶めかしい通話に私は激しい動悸を覚えた。
そのままスマホに耳を当てていると、女性の喘ぎ声は“幹太、幹太”と私の夫の名前を連呼し始めた。ゾクリとした感覚は強くなっていき、私の足はガタガタと音が聞こえそうなくらいに震え始めた。いや、足だけじゃなくスマホを握る手も、それを支える腕も肩も胸も、吸い込む息も吐き出す息さえも震えていた。
直に女性は絶叫するような甲高い声を上げ、それを追うように男の声が聞こえた。“出る、いいか”、と言ったあと、“うう”、という低い呻き声。
そしてその直後、通話は切れた。ツーツーツー。
「嘘、だよ……ね……?」
ただのイタズラ電話だと思いたかった。幹太という人名さえ出てこなければそう信じることができたかもしれない。幹太からの着信でなければ否定出来たかもしれない。でも、それよりも私にも思い当たる節があったのだ。
ここ2年くらい、私の夫の様子はおかしかった。それでも私は気付かないフリで治まるのをやり過ごしていた。……幹太の浮気。今、その証拠をまざまざと見せ付けられて、私は唖然とした。
しかもその最中の、クライマックスの時。何故こんな卑猥な場面を?? 幹太がわざと掛けたの? それとも女の策略?? 見せしめ? 見せしめにしても卑怯すぎる。酷い。幹太が他の女性を抱いてる場面を想像した。駄目、気がおかしくなる……。
目の前の景色が歪んでいく。研修施設の玄関、こんなところで泣く訳にはいかない。私は裏庭に小走りに向かった。
誰もいない裏庭。ひっそりとして薄暗く、唯一の明かりは勝手口にある外灯。それも切れかかった蛍光灯はついたり消えたりを繰り返している。そのたびに裏庭は明るくなり暗くなる。
「嘘……」
どうしたらいいんだろう。唖然として、それでいて怖くて、どうしていいのか分からずただ泣いた。私は手で涙を拭うのをやめて泣いていた。
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