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バーテンダーが「いつものですか?」と問いかけるのに、うなずいて答える。
ふと、彼の手元を見たら置かれているのはいつもの、彼のお気に入りの酒だった。
「マティーニを呑むんじゃなかったの?」
「そう」
答えて彼は、また、グラスから酒を口に含んだ。
度数の高い舌のしびれるようなものを、美味しそうに飲み下す。
「変なの」
カウンターに置かれた僕の分のグラスを見ながら、もう一口呑んで、彼はにやりと笑った。
「これが、チャーチル風の最高にドライなマティーニ」
昔のイギリスの首相の名前を挙げて、くつくつと喉を鳴らす。
ベルモットは眺めるだけの、最高にドライなヤツ、と。
そんなのただのジンじゃないか、僕はそう思うのだけど。
ばかばかしくなって、自分のグラスに口をつけたとたんに、肩を抱き寄せられて、いきなり深い口づけをされる。
「…んぅっ……!」
いつの間に口に含んだのか、彼の唇から強制的に送られてくる、きつい味。
自分の口の中に残っていた少し甘いベルモットと混ざり合う。
はしたなく唇の横から漏れたのを、ペロリとなめとって、彼はまた、笑った。
「これが、俺だけの特製のマティーニ」
「…!」
彼が好んで飲むのは、ドライジン。
僕がいつも飲むのは、ドライベルモット。
ジンとベルモットをステアしたカクテル。
それが、マティーニ。
僕の唇にグラスをつけて、ベルモットを流し込みながら、自分の口にもジンを含み。
彼はまた、深く深く、口づけをしてきた。
くらくらする。
きつい酒になのか、口づけになのかは、わからない。
ただ、一人で座っていられないくらいに、世界が揺れる。
僕の肩を抱いてカウンターに肘をつき、大嫌いな最愛の人は、ものすごく楽しそうに微笑んだ。
「ごちそうさん」
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