2473人が本棚に入れています
本棚に追加
「ふわふわオムライスなんて、貴方できるの?」
よっぽど心配らしく、リビングでのんびりテレビでも観ていていいと言っても、キッチンから絶対に出て行こうとしない。
そこにいられるほうが気が散るでしょって頼んで、ようやくカウンターテーブルに腰を下ろしてくれた。
「大丈夫だって。オムライスの作り方なら、バイト先ですっごい見てるから」
料理人は目で見て覚える。じっくり説明なんてしてくれない。見て盗むんだ。
劇団の中で、厨房のバイトをしている人がそう言っていた。
「バイトって、大丈夫? 自転車で出前なんでしょ?」
「皆、優しいよ。ほら、この前、みかんくれたみたいに、飴だってもらえるし、なんだかお客さんにお駄賃もらってるみたいになってるんだ」
そんなふうに頂いたお菓子とかを食べながら、店に戻るのが楽しい。
サボりではあるけれど、飴玉ひとつで自転車をこぐ足が軽くなれる。
「だって、貴方、方向音痴じゃない」
「アハハ、そうなんだよね、あんま今まで実感なかったけど。それって母さん似?」
どうかしらって、言っているけれどその表情で図星なんだとわかる。母さんの色々な表情。
方向音痴だって、最近気が付いた。ずっと大人が、誰かしらが俺に同行してくれることが多かったから。
それだけじゃない。
俺はきっととても狭い世界の中だけで動いていた。知らない、一歩進めば、全く知らない世界があると知らずに、ぐるぐると身近な場所だけを行き来する。
「楽しいよ。バイトも」
「……」
クラブとかで笑っておしゃべりする。
そういうのとは全く違う「楽しい」が今、俺の周りにたくさんある。
しんどくて
悩んで
たまには怒るかもしれない。
でも、振り返ったら、ちゃんと笑える。
きっと、今までで一番、泣いて、怒って、笑った。
「ほらっ! できたよ!」
「!」
出来上がったオムライスは、とりあえず丸くはなったけれど、やっぱり菫さんほどの出来ばえにはならない。
ふわとろって、かなり難しい。
「ごめん、母さん、できるって言い切ったわりには」
「とっても美味しそう。いただきます」
でも俺の作ったオムライスに
あのふわとろオムライスの虜になった常連さんの誰よりも
幸せそうな顔を母さんがしてくれた。
最初のコメントを投稿しよう!