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この句、特に上句・中句から、カトリックキリスト教(また各国正教・英国々教会)のミサ典礼文『Gloria(栄光の賛歌)』冒頭、
Gloria in excelsis Deo.
(天のいと高き処には神に栄光.)
Et in terra pax hominibus bone voluntatis.
(地には善意の人に平和あれ.)
が容易に想起されよう。あるいはこれは、待降節(ラテン語由来の英語でAdvent)から降誕祭(英語でChristmas)にかけ広く一般にも親しまれるようになった讃美歌『荒野の果てに:あらののはてに(「天の御遣:あめのみつかい」等、別訳多数)』の各節最終行として想い起こされるかも知れない。
この句が動機・季題とするのは二至二分だが、実際冬至(乃至、南半球では夏至)の時節を望む中世界各国で待降節から降誕祭にかけての祝祭が営まれており、その乱痴気にも似た盛大さを知らぬ者はおるまい。復活祭(特に四旬節前の謝肉祭)を除けば、そして特に宗教軽視が進む先進各国では、降誕祭は日常生活普段から縁遠いキリスト教が身近に感じられる数少ない機会の一つでもあろう。
しかし以下に述べる通り、ここで詠まれるのは現存する物理世界であり、所謂「現世(げんせい、うつせ-み)」等の概念は象徴的解釈に止められるべきものとする。少なくとも宗教的「来世・浄土」の概念は一切示唆されない。仮に象徴的・宗教的解釈がされても物理世界を大前提とした上で副次的に止められるべきであり、句の主題内容や思想哲学に直接関与影響してはならない。
この句はあくまでも、二至二分を動機に天体の運行と季節の移ろいを詠い上げるものである。
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