日に譽れ 地に榮へあれ 二至二分

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ところで余談ながら、原始キリスト教の段階では降誕祭は存在しなかった。後に、ヘブライ語の「マーシアハ(一般には訛ってメシア、ローマ字転写massiah)」即ち「(頭に)香油を注がれ(聖別され)た(者)」をギリシャ語に翻訳した「χριστοσ(ローマ字転写christos)」に由来して「キリストたるイエス」と称される、ハガリル(ガリラヤ)はナザレ出身大工ヨセフの息子ヨシュアが、ユダヤはイェルサレム近郊のバートラハム(ベトレヘム)で12月25日(12月24日日没後)に誕生した、とする通説は、後世の政治社会的捏造である。特に日付については、3~4世紀にローマ帝国内で一定勢力を成したミトラス教(ゾロアスター教の姉妹教)の「太陽神ミトラス再生日」を、また同じく太陽信仰を持つ新興民族ゲルマン人が古来営んだ「冬至祭」を、模倣しそれと折衷した(325年ニカイア公会議)、との説を採るのが妥当だ。即ち、ローマ帝国が事実上解体していく中、キリスト教の地歩確立に障壁となり得る「異教」ミトラス信仰を凌駕するため、また侵入・蔓延を続ける「異教徒」ゲルマン人にキリスト教を布教し文化的同化を図るためには、彼らの太陽信仰による「冬至に因んだ祭礼」を採り容れるのが適当であった、と考察されている。 然るにこれらに鑑みるならば、この句を象徴的・宗教的に解釈する際は、キリスト教よりもむしろ古代ペルシャの宗教や古代ゲルマンの宗教に基づくのがより適当であろう。 <季題>二至二分 <季節>二至二分を至点頂点とした各時期 日: 一意限定的に、物理的天体としての太陽。人間を始め諸々の主体がそれぞれの存立のため一元的に従属する、またともすれば帰依さえ必要なほどの、「絶対支配的存在」を直喩する。 もっとも、前述『Gloria』冒頭にも鑑み、ただし宗教宗派等を不問とした上で、形而下に顕現した「神(または神の業)」の象徴として解釈することは可能。 に: 与格の格助詞。ここでは同時に「~『に』おいて」の意で処格も表すものとする。上句・中句共に、中句「あ(り)」を直接修飾する文節を成す。 譽れ: ほまれ。旧字体が「言を與(与)える」と綴ることから言祝ぎ(言葉による祝福・称讃)を示唆。ただし言祝ぐ主体の言葉や称讃でなく、その対象の誉め讃えられるべき資質保有や権能発揮こそを第一義とする。 展開すれば、惑星等々諸主体を包含し従属させた太陽系の中心に「日」があることから、従者たる「地」にあるべきもの、即ち中句「榮へ」を包含して併せ、「榮譽」と見做すことも可能。
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