日に譽れ 地に榮へあれ 二至二分

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地: 上句「日」同様、物理的天体としての地球に一意限定。人間等諸主体が活躍し存亡する「場」の直喩。「世界」の象徴と解釈しても好いがあくまでも地球上に限定し、ギリシャ語「κοσμοσ」のように「秩序・宇宙」までは含意しないものとする。 榮へ: さかえ。より一般的な語義解釈通り、「繁栄」を指すものとして好い。ただしこの「繁栄」は、「地」それ自体ももちろんだがむしろ、そこで活躍存亡する諸主体にこそあるべきものとする。よって「榮譽」や「栄光」とするのは上句「日」との対照から過度であろう。 また構成上、前述『Gloria』冒頭の「pax(平安・平和)」に相当することから、その「繁栄」が「平安・平和」を前提に成立する、との解釈は副次的の限りにおいて妥当か。 あ-れ: 「有り・在り」の命令形。上句「譽れ」並びに中句「榮へ」が命令の対象となる。また、中句切れを示し下句を独立させる。 「あるべし(婉曲命令)」・「あらむ(推量未来)」・「あれかし(願望・祈念)」等より明確に強固な訴え。 二至二分: 夏至・冬至及び春分・秋分の各日。二十四節気の中最も重要な中気の四つ。古代中国の暦年法に由来する二十四節気でも、また現在でもより科学的に明確に、二至二分に関しては物理的定義がされており、よって暦の新旧や洋の東西は不問となる。この句では特に、物理的天体即ち「日」・「地」の運行それ自体とそれが形而下にもたらす季節の移ろいを、直喩して象徴するものとする。 この語がこの句の季題となるが、事実上「四季不問」である。何故なら上記の通り二至二分は四季毎に特定の四日を、即ち春夏秋冬各々の一日を示し、一季節を限定するものではないため。解釈上は、各日を挟んだ一週間から各日を望む一月に渡る時節が相当する、とすべし。
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