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「じゃあ行く…ね」
「…うん」
にこっと笑った彼女の笑顔はとても綺麗だった。
だけど、同時に気づいた。そのかばんを持つ手が震えていることに。
「私…優一に出会えて幸せ、だった、よ?」
「…うん」
「私の知らないこと、いっぱい教えてくれた、し。私の狭かった世界を広げてくれた、から」
「…」
だとしたら、俺は自分を恨まなければならないのだろうか。
初めて会ったときは、どこか近寄りがたい存在だった。
いつも飄々としていて、誰も寄せ付けない、そんなオーラが出ていて。
第一印象は、悪いけど“苦手だな”って思った。
…けど。
知れば知るほど、本当の彼女の姿に惚れていって。
気づけば俺たちは恋人同士、と周りから評されるほどの関係になっていた。
そして俺たちは、互いに知らないことを、狭かった世界を広げていって。
彼女…来奈が、“デザイナーになりたい”と言ったのは去年の秋のことだったろうか。
そしてその思いが本気だと知ったのは、その年の冬のこと。
「…帰ってくるの、いつだっけ」
「分かんない。最低でも3年はかかると思う」
「そ、っか」
「うん」
朝早い駅には、電車が来るのを待つ人なんて一人も居ない。
その事実が、妙に俺の胸を苦しくさせる。
「…あ、もうそろそろだ」
来奈がそう呟くと同時に、向こうから電車が来るのが見えた。
まだ一日は始まったばかりだというのに、俺たちの一日はもう終わりのようだ。
…いっそのこと、このまま時間がとまっちゃえばいいのに。
でも、そんな俺の願いなんて届くはずもなく。
電車はホームに入り、その扉を開ける。
「じゃあ、ね」
「うん、」
“また明日”って言いそうになった。けれども、俺たちに“明日”はない。
「…バイバイ」
彼女は手を振り、俺に背を向けて電車の中に入った。
…このままでいいのか?俺。もうすぐ、扉は閉まるんだぞ?
「来奈!!」
「…えっ?」
「俺、待ってるから!ずっと来奈の事、待ってるから!!」
「ゆ、う、いち…」
「ずっとずっと、来奈の事…」
“愛しているから”そう言う前に、電車の扉は無情にも閉じた。
電車は俺の事なんて見えないかのように走り去る。
見えなくなった後、無人の駅で、一人膝から崩れ落ちた。
「っ…」
春は出会いの季節であり、別れの季節。
素直になれなかった、それでも季節は過ぎていく。
end
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