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五月雨や 色紙へぎたる 壁の跡
松尾芭蕉
落柿舎滞在は短期間であったが、いよいよ立ち去るとなると名残惜しい。しみじみ見れば壁には色紙を剥いだ跡が残っている。そんな事にも想いが止まる。「へぎたる」 は剥ぎ取るの意。
ここに来たのは晩春の頃であったが、季節は巡り五月雨に入ったようだ。芭蕉は、そう詠んだのです。
この後、京市内に6月中旬まで滞在の後、膳所の義仲寺へと戻り、そして秋には二年半ぶりに江戸へ帰ります。
作詞家が《雨の落柿舎》と表現したのは恐らく、芭蕉のこの句を意識したのだろうと思われます。
つまり、嵯峨野さやさやは、こうした歴史的・文学的な背景に基づいて作られた作品と分かるのです。
♪藪の茶店で♪書く手紙♪
♪きのう別れた♪あの人に♪
茶店で手紙を書く女性の姿が浮かびます。
それも別れた相手に宛ててとは、なんとも可愛らしく、いじらしい女性です。
きっと眼に涙を湛えて書いたのでしょう。
昭和の時代には実際に、そんな女性が存在したんですね。
いや、日本女性であるならば、そうした可愛らしさは失われてはいない。現代にも受け継がれているに違いない。
そう信じたいものです。
この歌詞に昭和の時代性が出ています。メールではなく、レターです。
手紙を書ける女性は年々減って行く。
その事に、少し寂しさを覚えます。
さて二番の歌詞の後半部分です。
♪京都 嵯峨野の♪笹が鳴る♪
♪京都 嵯峨野の♪笹が鳴る♪
一番の♪嵯峨野 笹の葉♪さやさやと♪の言い替え表現です。
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