大晦日のひとり

21/28
前へ
/249ページ
次へ
前回の更新から9か月、、、 まさに年1更新のさまですが、最初に言うべきは、加藤さんごめん!!もう、ものっそい忙しすぎてほぼプライベートがないのです。言い訳になってしまいますが、まだ読めてません。。 でも、躍進は知っています。 自分もまだまだです。毎日毎日、悶え苦しんでいます。いつか本屋さんで会えることを祈っています。 さて、29歳になりました。 毎日21時30分まで学生達と向き合い、そこから家に帰ってパソコンと向かい合う。まともな休日がいつだったかもわからないです笑 今から、小説家にあるまじき乱文失礼 小説書いて、やけにうまい他の作家の作品に嫉妬して、ただまだ足りないものだらけの自分であれば必ず超えられると思い、それでもやっぱり上手いなあと思いながら、それでも会心のシーンに夜中3時ににやりと笑っても、あくる日には芸術のような文章と出会って舌打ちする。文章の世界は奥深いようで単純で、単純な中に複雑さがある。なんて思ってみても、仕事ってなんでもそうだと思う。 とどのつまり、僕はまだまだ自分に自信がなくて、この自信の無さは永遠に変わらないのだろうけど、ただその自信の無さこそが自分の傲慢さ、楽天的なものの見方になっているんだろうなと思う。 でも、本当に欲しいものは手に入っていない。 別にこれは自分の文章には関係ないのだけど、僕の実家は食卓の上を炊飯ジャーや陶器の皿が舞うような家で、父親と喋った時間はこの29年間で24時間を超えていない。ずっと前から欲しいのは、当たり前で単純であるけれど、たった1人との繋がりの中で与えられる居場所だったりする。ただそこでの過ごし方を知らないことは僕の弱さというか踏み出せない原因なのだろうけど。 ただ、それと同時に本当に欲しいものを平気で投げ捨てられるのも僕の強みなんだろうと思う。足し算と引き算が苦手だ。僅かなプラスのために、平気でもっと大きなものを捨てられる。大学4年、それなりにというかまあまあ苦労しないくらいの大学に行ったけど、新卒で入った会社は1ヶ月とちょっとで辞めた。 最近人生相談に来た学生に(今の僕は教育業界で働いている)、僕の18から25までの人生をざっと紙に書いて、現実にこんな奴がいたらこの先まともに生きていけると思うと聞くと、無邪気な表情で「死ぬ、絶対ムリ」と言われた。その視点が学生の視点で、傲慢にもそこからさらに視点を広げて欲しいと願うのだけれど、やはり学生の言葉もある面では正しい。隣の芝が青い体ってしまえばそれまでだけど、何もかもを手に入れられるほど器用でもないけど、それでもやっぱり僕は何もかもが欲しいなあ。 と、そんなことを言いながらこの文章を書いてる僕の目の前には、いつのころか踏んづけてひしゃげた銀のやっすい指輪。本当に銀かもわからない。それでも、僕が小説家になると決めた時に捨てることを決めた縁で、僕の決意の象徴で、僕の馬鹿馬鹿しさの象徴で、僕自身かと思えるほど思惟の詰まったもの。学生の頃にもらったものだけど、いつか死ぬときは、他の何も入れなくとも、その指輪だけは入れて欲しいなと思う。 とまあ、つらつら書いてきたわけですが、、、 つまり何を言いたいかというと 結婚したい 居場所が欲しい というか、静かな部屋に帰るのは、もうごめんだ
/249ページ

最初のコメントを投稿しよう!

33人が本棚に入れています
本棚に追加