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暖冬のせいか、今年は桜の開花が早かった。
そのせいで、まだ4月にならないというのに桜はほとんどが葉桜で、散った花びらが道をピンク色に染め上げている。
例外なく、千波が毎日通勤で使う畦道も側溝も、桜の花びらで埋め尽くされていた。
その日、仕事からの帰り道。
坂の途中から千波は自転車を押して歩いていた。
二年前まではこの坂道も家まで漕いで昇れたものだが、さすがにこの頃はキツイ。
毎日のことなので、電動自転車を購入しようか本気で検討中である。
その時、坂の上から人が降りてくる気配がして、千波はふと顔を上げた。
千波が顔を上げたその瞬間、前から歩いてきた人物は驚いたように足を止めた。
その人物の顔を視界に入れた千波も、驚きで大きく息を飲む。
「…………良平」
「…………ちぃ」
二人は同時に互いの名を呼び、そして呆然とその場に立ちすくんだ。
スーツ姿で目の前に佇んでいたのは、2月に別れたばかりの千波の元カレ……森島 良平だった。
日はまだ薄く暮れ残り、久しぶりに見た良平の顔もはっきりと薄暮の中に浮かんで見える。
「………………」
しばらく佇立してどこかぼんやりと互いの顔に見入っていたが、やがて良平がふっと笑って一歩千波へと足を動かした。
「………久しぶりやな、ちぃ」
声をかけられ、千波はハッと我に返った。
ハンドルを握る手に無意識に力がこもる。
「………久しぶり」
「うん」
「なんで、こんなとこにおるん」
「はっ。心配せんでもストーカーしに来たんとちゃうで」
冗談めかして言い、良平はくいと坂の上を顎でしゃくった。
「この先の藤川さん、うちのお得意さんなんや。それでちょっと呼び出されて」
「…………ふぅん」
目を伏せながら、千波は短い相槌を打った。
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