第一話~名無しの青年~

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 集中治療と監視のために多くの人員が入れるように作られた部屋で、ベッドは太い鉄格子で囲まれている。鉄格子には刻印術障壁が張られており、対象が外に刻印術で攻撃することは叶わない。しかし距離と障害物があるといっても万全を期すのが従者の務めである。仮に眠っている男がアシエスに何をしようとしても防げるように警戒しつつ、キラキラと輝く目で就寝体を見つめる少女の傍にイオンは待機する。 「だいぶ落ち着いたんだね」  現れて翌日に来た時は呼吸も表情もひどく、見ている方がつらくなるほどだったが、今は呼吸も落ち着き表情も静かだった。もちろんかけられたシーツの下は包帯でグルグル巻きになっていて、その下を見れば見るも無残な大傷があることだろうが。何せ肋骨が切断されていたのだ。斬られた傷のようだったが、医療班の話によると心臓の真横まで斬撃が届いていたらしい。不幸中の幸い、九死に一生というやつだったそうだ。  熱心に眺めているアシエスに感化されてイオンも改めて寝ている男の姿を観察する。歳は十六、七ほどだろうか。人間的外見が十八歳の自分と同じか、若干下に見える。黒い髪は若干跳ねており、触ればチクチクしそうという安易な感想が脳裏に過ぎる。規則正しい呼吸をしている寝顔はそれなりに端正で、それなりに格好いい。言うなれば中の上、上の下と言ったところか。街中で見たとしても目に留まることはないだろう。体付きも悪くない。筋骨隆々とまではいかないが、頬の具合を見る限り無駄な肉を持たず締まっている。恐らくはモルクルの兵士か何かだったに違いない。ベッドの上で寝ているためわかりづらいが、目測で百七十セタマータ前後だろう。立てばもう少し高くなるかもしれないが、少なくとも自身よりかは低い。  そこまで観察した時だった。 「え?」  隣の少女が短く疑念の声を上げた。視線をアシエスに戻し、それから彼女の見つめる先に目を向けると。 「ん……」  ゆっくりと。男の瞼が上がっていき。 「……」  数度瞬きを繰り返した後に、顔を動かさずに瞳がこちらを向いた。光のない、すべてを影に飲み込んでしまいそうな真っ暗な、しかしそれでいて知性を感じさせる美しさを秘めた瞳がこちらを見つめた。  この時、室内の者は時が経過することを忘れて見事に静止していた。アシエスもイオンも、衛兵達もベッドの男すらも。
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