第一話~名無しの青年~

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 真っ赤になった左の掌を突き出してくる。それに対して刻印術で水桶と共に置いてあった手拭いを二つに裂き、驚く少年の左手に巻き付け、その上から刻印術で強化を施した。左手の影響を受けず、かつ人間の腕力では絶対に破けない強度。格子の刻印術で焼き切られないよう、牢の刻印術を少しだけ調整する。利き腕封じられて飯が食えないと何やら言っている気がしたがイオンは務めて気にせず笑顔で対応する。先の嫌がらせの報復などではないけれど。  アシエスを怪我から護ってくれたお礼ということで顔の火傷だけは治療したが。 「それではアシエス様がお眠りですので、このまま失礼いたします。よい夢を」 「おーい」  少年の言い分などどこ吹く風でそのまま本当に出て行ってしまった。 「……ったく」  軽く口を尖らせて悪態をつきながら上の服を着てベッドに寝転がる。部屋の外でさっきの女性と衛兵が話している声が聞こえて来るが少年は気にせずに左手を天井に向けて伸ばし、その甲を睨みつけた。 「魔法……刻印術を消す、か」  ぼやいた後に右手に視線を落とし、  ボッ、と。右の掌に蝋燭程度の小さな小さな赤い火が灯った。部屋の外に感知された様子はない。少年は刻印術をそっと握り潰した。  視線の先には、内部から外部への干渉を妨害する格子。 「さて、これからどうするかな」  少年のぼやきを聞く者はいない。  翌朝、城内の騎士と兵士、総勢六千もの人員がフィーマ帝国の侵略に抵抗すべく出陣し、  その五日後。少年はパルデイス城から逃走した。
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