第二話~所在無き心が揺らぎをもたらす~

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 常に他者に対して警戒心を抱くイオンの心へ奇妙なまでにするりと入り込み、アシエスの信頼を勝ち取り、若干の嫉妬を覚えてしまうほどに懐かれ、かと思えば何も言わずに脱走する。見張りをしていた衛兵が気を許してしまうほど柔らかい態度を見せ、彼らを傷つけることなく逃げ出した。  彼が利己的で自分勝手な振る舞いをしていたのならばこんなにも気に病むことはなかっただろう。しかし、倒れそうになったアシエスを助け、無礼とも取れるがアシエスやイオン、衛兵達に等しく親しげに接し、かと言えばご機嫌取りをしているわけではなく理不尽に偉そうな態度を取る者――主にロイク神官だけだが――には立場も弁えずに無視や暴言を吐くなど何処までも自分を貫いていた。人間らしくも優しい、彼の人間性を批判できる要素がないだけに胸が苦しくなる。  これが嫌な相手であれば、逃がしたことを悔やみはしても悲しく思うことはなかっただろう。 (記憶を失っていたからいい人だった、というわけではないのでしょう。であれば脱走の際に無駄に衛兵の方々を攻撃しない理由はありませんし)  せめて一言断ってから行って欲しかった。そう考えた瞬間に自分に対して絶句する。 誰が脱走する前に牢番へ「俺脱走するからよろしく」などと言うだろうか。それとも自分が彼にとってそれほど心を開いてもらえているとでも思っていたのか。  人心がひどく疑い深く信じようとしないのは、誰よりも知っているはずなのに。その結果として今ここにいることを忘れられるはずもないのに。 (しっかりしなさいイオン。わたくしが呆けていてはアシエス様をお護りなどできるはずもないでしょう)  今はアシエスが欲している脱走者の衣類だ。本来囚人は地下牢に閉じ込めておくのだが、仮に脱走を許した時に近くに持ち物を保管してあれば武器を持たせて逃がしてしまうことになりかねないため、一度城内に戻り地下牢とは反対側にある地下室に安置してある。もちろんどちらにも鍵をかけ、見張りが目を光らせているので簡単にはいかない。  一階まで降りてきたイオンはまっすぐに証拠保管庫に向かう。 「イオン様、いかがなされました?」  見張りの衛兵が礼を取りながら不思議そうに尋ねる。 「アシエス様のご要望により、脱走者の私物を預かりに参りました。開けていただけますか?」 「はっ」
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