第一話~名無しの青年~

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 テラスの向こうに広がる空は真っ青で、三日前の突然の黒雲がまるで嘘だったように感じる。  三日前、刻印術で感知することのできなかった黒雲はあの謎の落雷召喚の後、一時間で跡形もなく散り去っていった。敵国の攻撃ではという疑いのもと、落雷のあった場所を調査させていたが、刻印術の痕跡はどこにもなかったらしい。少なくとも何かが召喚されれば刻印術痕は残る。そこから逆算し、どういった術なのかを知ることも可能なのだが、刻印術の痕跡が残らないなどとは普通ではなく、城内に送り込まれた謎の重傷者の正体と刻印術師について必死に調べ回る衛兵達を、少女は何とはなしに見ていた。 「あの男の人、いつになったら元気になるかな」  連鎖的に繋がっていった思考は、あの日眼前に現れたあの黒い男へと収束した。お勉強の中で学んでいる敵対勢力、モルクル人の特徴と似通っていたように思う。もしかすると敵なのだろうかと、警戒した風もなく考えられるのは、間違いなく別世界のことと感じているからだ。戦争の話も実感がなく、襲われたことがないどころか直接は見たことすらない人達に恐怖を覚えろという方が無理からぬことである。  当時は驚くばかりで何も感じなかったが、記憶の中の男の人は相当ひどい怪我をしていたような気がする。すぐに衛兵に連れて行かれてしまい、その後はどうなったのか知らなかった。翌日に厳重な警備の下で遠目から見た感じでは苦しそうに眠っているという感想を抱いただけだ。  新しい刺激が目の前にやって来たのにもったいないことをしたと後悔する。  そこで、部屋の扉を叩く音がした。コンコンコン、と三度ノック音。 「はーい」  軽い口調で棚の左端に取りつけられた、やはり白い扉に声をかける。するときれいに磨かれた真鍮製のドアノブが回り、軋む音もなく滑らかに外へと開いた。 「失礼致します、アシエス様」  一礼して入ってきた人物が、ベッドで転がっている少女を見て小さく嘆息した。 「だらしないですよアシエス様」  軽く諫められ少女はゆっくりと体を起こして、入室してきた人物に目を向ける。青い無地のドレスを着こなし、こちらも無地だがフリルが少しばかりあしらわれた白いエプロンを前にかけており、地味な出で立ちをしている。しかし誇張気味な胸元に強く輝く、緑色の宝石が嵌め込まれたペンダントがアクセサリーとなり、貧相な第一印象を掻き消していた。
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