第3章 変わらない日常の些細な変化

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いつもと変わらない風景。 でもきっと彼はもう来ないだろう。 「すんません。卵サンドとオムレツサンド、あと……」 「……」 ピタッと動きが止まってしまった。 そこにいたのは、口元の赤みがずいぶんと引いたけれど、まだ痛そうなことには変わらない彼だ。 「あと、昨日、これ」 そういって代金を置くトレーに、ふたつのサンドイッチ代がおつりのないようきっかりと用意されていた。 「俺、裸眼だったし、なんか色々で、すんません。食い逃げして」 「いや……」 「電車ん中で気がついて、思わず、あーっ! とかって叫んで、注目の的になってて」 あーっ! のところで本当に大きな声を出したりするから、驚くじゃないか。 それを意図していたのかどうか。 彼はビクンと跳ねた俺の肩を見て、クスクスと楽しげに笑っている。   あのままにしておいても、俺は警察に届けるなんてしなかったよ? とか言いそうになるのを、ぐっと飲み込む。そんなことを言ったら、なんだか俺はこの大学生に媚を売ろうとしているみたいじゃないか。 「あ、でも、食わずに、だから持ち逃げになんのかな」 さぁ、どうだろうか。 これ、クセなのか? ひとりでブツブツ話すの。 「キモいっすね……」 「えっ?」 「俺、ブツブツ話してて」 あぁ、そっちのことか。 てっきり俺のことを言っているんだとばかり思ってしまった。 トラックの中からじっとひとり言を呟く姿を見つめられているなんて、彼には嬉しくもなんともないことだろう。それどころか視線が鬱陶しいに違いない。 このキモイって言葉、どうも苦手だ。 大学生なんて本当にしょっちゅう口癖なのかと思うほど、頻繁に言うけれども、言われたほうが案外ダメージ大きいと思うんだよ。 彼らにしてみたら、そうでもないんだろうか。 でも俺にはけっこう強い響きを持って突き刺さるんだ。 「んで、タダ飯はラッキーって思ったんですけど、俺、ここの卵サンドとオムレツサンド好きなんで」 「あ、あぁ、ありがとう」 「あ、今日もミニトマトサラダはいらないです」 まだしみるのか。 そうだよな。 あんなに真っ赤になってたんだ。 いくら若いからって一日でそこまで治りはしないだろ。
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