第1章

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  繭の中  雨が数日続いていたが今朝方やっと晴れ間が覗き、晩秋の柔らかい日差しがガラス窓越しにオフィスに射し込んでいる。  朝の定例会議から戻った松浦唯人(マツウラユウト)はデスクに置かれた書類の一枚を手に取りながら椅子に腰を掛けた。  ちょうど窓を背に座る松浦は、背中に当たる陽光のほんのりとした暖かさを感じながら数枚重ねられた書類にざっと目を通していく。  「課長、週末いつもの所に九時半でいいですか?」  手元から目を離した松浦はデスクの前に立った部下の山下隆平(ヤマシタリュウヘイ)を見上げた。  週末?と首を傾げた松浦だったが、すぐに合点がいった。  「……ああ、あれか。うん、いいよ」  「じゃあみんな長根に、……ああ、宮倉は初めてか、長根の、あの大きい十字路あるだろ?角にあるコンビニに九時半な」  松浦に背を向けると少し声を張り山下は四つ組まれたデスクに座る課の面々を見回した。  上背はあるが華奢といってもいい山下は垂れ目気味で右の目許に泣き黒子があり、つんと高い鼻、形のよい薄い唇が小さい顔に整然と並んでいる。  顔もこうして見る細身の後ろ姿の印象も繊細だが職場ではリーダーシップを取る場合が多い。  「はい」  「課長、よろしくお願いしまぁーす」  「ああー、もうそんな時期かぁ、課長、途中運転代わりますから」  「そんな年じゃないよ」  苦笑いで代わります、といった山下より年下の部下、瀬戸太一(セトタイチ)を見ると、  「いや、若者を頼ってくださいよ」  と返され松浦は苦笑を深くした。  今月、十一月の第三土曜日に予定されている浅沼金属(株)の営業部親睦社員旅行は、毎年M県と隣県S県との県境にある明王地温泉卿の温泉宿、山水館で行われる。  営業部には第一、第二営業部があり、そのどちらにも一から四課が存在し、集まると四十人と結構な人数になるが、現総務部長の実家がその山水館で貸し切れる上宿泊費も格安という好条件の為ここ数年の恒例行事になっている。  それぞれの課が現地集合なのは、課の人数が五人と決まっているので暗に自家用車に乗り合わせて……と、いう事なのだろう。   わいわいと週末の社員旅行について話始めた面々を見ながら松浦は皆に気付かれないよう小さくため息をついた。
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