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深呼吸を何度かして、心の中を空っぽにした。胸ポケットから数珠を取り出し、左手にかける。
(香織さん、香織さんいますか?)
何度か問いかけを続けていると――
『ごめんなさい。これに夢中になっちゃって。優斗くん、来てくれたんだ』
小さいピアノを抱えて、微笑みながら香織さんが現れた。
(大きいピアノ、弾きたいでしょ?)
『うん。しばらく弾いてなかったから、優斗くんが出してくれたこのピアノで練習していたよ。片手ずつだったけど、忘れていたメロディがやっと思い出せたの!』
ずっと弾きたかったピアノが弾けて、本当に嬉しそうだ。小さいピアノなのに、こんなに喜んでくれるとは思ってなかったな。
(今の俺の力じゃ、その小さいピアノしか出せないんだ)
『そう。でもいつか出せる時がくるんでしょ?』
小首を傾げて訊ねられ、思わず言葉が詰まる。視線を伏せて気落ちした俺を、香織さんは不思議そうな顔で覗き込んできた。
『どうしたの、優斗くん?』
(俺が大きなピアノを出すのには、何年もかかってしまうらしい。だから香織さん)
『なぁに?』
(君が俺の中に入って、音楽室にあるピアノを弾いてみてくれないかな)
顔を上げて思いきって告げた言葉に、大きな目を見開き固まった。
『私が、優斗くんの中に……入って大丈夫なの?』
(俺も初めてのことだし、大丈夫なのか分からない。だけど香織さんにあのピアノを弾いてもらいたいっていう、強い気持ちがあるから。きっと上手くいくと思ってるんだ)
左手にかけている数珠をぎゅっと握りしめ、香織さんの返事を待つ。
『私は、どうすればいいのかな?』
揺れ動いていた瞳が、何かを決心したみたく光り輝いた。
(いつも通りにしてて。俺が心を開くから……)
目の前にいる香織さんの額に、右手を当てて念じる。彼女の願いを叶える為に心を解放します、と。
やがて目の前にいた香織さんが、どんどん透明になっていった。
「あ!?」
自分の意思とは違う何かが、俺の隣にいるのを感じる。動かそうと思ってないのに、勝手に手のひらを見つめている自分がいた。
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