心霊ファイル:真心をこめたお見送り

6/9
前へ
/49ページ
次へ
「あの。その……」  じわりと頬が熱くなるのを感じた。視線の先には岡田と鈴木がいる。 (彼らは香織さんの演奏を聴きに来た人だよ、大丈夫だから)  心の中で告げてやると、ほっとしたのが伝わってきた。 「き、今日はわざわざ私のピアノを聴きに来てくれて、どうもありがとうございますっ。一生懸命に演奏しますので、ヨロシクお願いします!」  ちょっとオカマがかった俺の喋りに、ふたりは面食らったみたいだったけど、姿勢を正してお辞儀してくれる。  香織さんも丁寧にお辞儀をし、グランドピアノに近づいてその蓋を開けた。鍵盤の上に掛かっていた赤い布を取って、右手人差し指でポーンと音を鳴らす。 「ずっと弾きたかった、本当のピアノの音だ。嬉しい……」  愛おしそうに両手で、鍵盤をなぞる様に触れていく。自分の指先から次々と音が奏でられ、不思議な感覚に陥った。 (香織さん何か、すっごく気持ちいい。楽しいかも) 「そうだよ、優斗くん。一緒に楽しもうよ」  微笑んだ彼女が、静かに鍵盤の上に指を滑らせて弾いていく。俺でも知ってる曲、ベートーベンのエリーゼのためにだった。切なげに弾いていたと思ったら情熱的になったりと、曲調が変わる度に香織さんの表情も変わる。  ピアノの端から端までを使って奏で上げていく姿はきっと、すっごくキレイなんだろうな。  弾いてる最中に思い出される、香織さんの記憶――課題曲の練習を頑張ってるところや入院中の治療の様子、辛い投薬治療などが伝わってきて、胸の中が痛くなった。  だけどそんな辛さも今、浄化されようとしている。喜びに溢れながら、ずっと触れたかったピアノで演奏出来ているんだから。  そして最後の一音を弾いて、ゆっくりと指を外した。
/49ページ

最初のコメントを投稿しよう!

39人が本棚に入れています
本棚に追加