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無言で自宅の扉を開けると、居間から母親が血相を変えて出てきた。
「お邪魔します」
香織さんは丁寧に、頭を下げたのだが――
「優斗、お前……失敗したのかい?」
おっかない顔して、いきなり自分が使ってる数珠を取り出した。
「お母様、優斗くんは大丈夫だと言ってます」
「お、かあさま……?」
激しく顔を引きつらせて、俺を見るその目が冷たいこと! 絶対によからぬことを考えているだろうな。
「お仏壇のある部屋は、こっちかしら?」
靴を脱いでキレイに揃えてから、可愛らしく歩いて仏間に恐るおそると入って行く。これまでの言動について、自分ではどうにも出来ないので黙ったままでいた。
(仏壇の蝋燭に火をつけて、線香を……)
「分かった。その後はお数珠を出せばいい?」
俺の指示通り、てきぱきと動いてくれる香織さんを、母さんは背後から見守っていたようだった。
姿勢を正して正座をし、数珠をかけて両手を合わせる。
香織さんをきちんと送り出してやらなければ。ここからが俺の正念場だ。質のいい浄霊を心を込めてしてあげよう。
やがて目の前に、いつもの霧が立ち込める。そしてゆっくりと香織さんがその中に姿を現した。
『優斗くん、私のお願いをきいてくれてありがと。忘れないよ』
今まで見た中で、飛び切りの笑顔で微笑みかけてくれる。
「香織さん、俺……」
『ん?』
君のその笑顔を見たときから、ずっと――
香織さんの笑顔を見た瞬間に、自分の気持ちに気がついてしまった。彼女の優しい心に触れて、尚更気持ちが傾いてしまって。
「俺……俺も忘れないから。香織さんが弾いてくれたメロディと一緒に、ずっと覚えておくよ。だから」
鼻の奥がツンとする。胸の中が痛くて堪らない。
「いってらっしゃい。気をつけてね!」
泣き出してしまわないように元気よく告げたら右手を何度か振り、背を向けて逝ってしまった。少しだけ、寂しげな頬笑みを湛えながら――
俺の涙が頬に伝った瞬間に、目の前の霧が晴れていく。
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