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「全力の風、か」
遠心力を利用して、私は勢いよくブランコを跳ぶ。
茜色に染まる雲が一瞬急激に近づき、また遠ざかる。綺麗な着地を最後に、天と地の往復運動は終止符を打った。
「昔はさ、ただ走り回って遊んでるってだけだったじゃん。タイムとか、意味とか、何も考えずに。ただ気の赴くようにさ。そこに妥協はなかったし、いつだって全力だった」
遠い日の回想が脳裏をよぎる。野山、砂浜、連れて行ってもらった先々で私たちは身一つをおもちゃに駆け回った。
山の澄んだ風、海からの潮風、行く先々で感じた様々な風の感触が、追憶の中に浮かんでは消える。
「そんな時代が、私たちにもあったんだよ。いつからか部活動として、速く走ることが目的、イコール全力みたいになっちゃったけどさ」
キィ、キィと、背後で鉄と鉄が擦れ合う甲高い音が続いている。
心無しか、その音が小さくなったような気がした。
「速く走れば感じられる風は変わるけど、それってゆっくりの風を失ってる事にもなるんじゃないかな……いや、そもそも私たちは、走らずとも感じられる風を知ってるんだよ。屋上に吹き付ける風とか、自転車の風とか。速く速くと走ることばかり考えてたら、きっと忘れたままだったんじゃないかな」
ブランコを漕ぐ音が、確かに聞こえなくなった。
代わってどこかの遊具が、ホォウ、ホォウと、風鳴りの音色を口ずさんでいる。
「……なんてね。風を感じたくて走ってきた陸上部の私が、いまさら走らず感じる風の良さに気付くのも変な話だけどさ」
私は苦笑し、少しためらったが、ゆっくりと振り向く。
その視線の先には、ブランコを降りて地に足を着けた蒼の姿があった。
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